7月11日は「インターナショナル エッセンシャルオイル デイ」!

3 2018-07-10 - SEED TO SEAL, お知らせ, ライフスタイル / レシピ

ハッピー インターナショナル エッセンシャルオイル デイ♪

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エッセンシャルオイル市場の発展および7月11日が誕生日でもあるエッセンシャルオイルのパイオニア、ゲリー・ヤングの功績に敬意を表し、7月11日を「インターナショナル エッセンシャルオイル デイ(International Essential Oils Day)」と制定いたしました。

またヤング・リヴィングでは、7月11日当日のグローバルでの売り上げの5%を、「ゲリー・ヤング基金」の原点ともいえるヤング・リヴィング・アカデミーに寄付することに決定いたしました。※250,000ドルを上限とする

ヤング・リヴィング・アカデミーへの寄付はこちらからhttps://younglivingfoundation.org/young-living-academy-ecuador

 

 

ゲリーの生涯とヤング・リヴィング

ゲリーが成し遂げた偉業は、語りつくせるものではありません。35年もの歳月をかけて植物の恩恵についての研究に努めるかたわら、エッセンシャルオイルの恵みと彼の培ってきた多くの経験を何百万もの人々と共有するために、ヤング・リヴィングを10億ドル規模のグローバル企業へと育てあげたのです。

”エッセンシャルオイルのパイオニア”と称されるゲリーは、発明家であるとともに歴史家でもありました。いにしえの知恵を知るにつれ、現在では失われてしまったハーブや植物、樹木の恩恵を見出すことへの探究心は一層強くなり、母なる大地の恩恵について学ぶためなら、どんな場所へでも時間を惜しまず足を運びました。

1949年7月11日、アイダホ州アイダホフォールズに生まれたゲリー・ヤングは、両親と5人の兄弟とともに、山々に囲まれたチャリスという場所で育ちました。家族が暮らしていた30フィート(9.14メートル)四方の小屋には、水道も電気もありませんでした。彼はチャリス・ハイスクールを卒業するとすぐに、カナダとの国境地帯で農場を持つという夢に向けて行動を開始します。1967年、身の回りの物をトラックに積み込んでブリティッシュコロンビア州に赴き、1968年にはカリブー地区で320エーカー(130万平米)の土地(ホームステッド法が適用された最後の例のひとつ)で木材の伐採搬出を始めました。

木材伐採と牧場経営を始めて5年が経とうとしていた矢先、ゲリーは伐採の作業中に大きな事故に遭い、重傷を負ってしまいます。車椅子生活を余儀なくされ、再び歩けるようになる見通しも立たないほどでした。彼は何年間も痛みと絶望に耐えなくてはなりませんでした。ゲリーは”絶対に諦めない”というカウボーイ・スピリットを味方に、ハーブや栄養改善など、自然治癒力を高める様々な方法を模索し始めました。その過程でエッセンシャルオイルに出会うことになります。

1983年には南カリフォルニアの自然療法の学校に入り、チュラヴィスタで小さな事務所を開いた他、メキシコではバハカリフォルニア州のロサリトビーチに研究センターを開設しました。不遇な事故から13年が経っていましたが、歩くだけで常に痛みがつきまとっていました。
ゲリーがエッセンシャルオイルの奥深さに初めて触れたのは、スイスのジュネーブである医学会に参加したときでした。そこで医師たちが、エッセンシャルオイルに関する研究発表を行ったのです。その内容に感銘を受けたゲリーは、13種ものエッセンシャルオイルを携えて米国に戻り、独自の研究を開始しました。

エッセンシャルオイルの驚くべき恩恵を知ったゲリーは、”これこそ自分が追求すべき道だ”と心に誓いました。ゲリーは心身ともに健康な状態を必ず取り戻すと固く決意していただけでなく、自身が抱く自然への大きな愛情ゆえ、植物の栽培方法から植物の恵みまで、エッセンシャルオイルの全てを知りたいと固く決意しました。
農場育ちのゲリーが、植物の栽培とオイルの生産について知りたいと思ったのはごく自然なことでした。ゲリーはすぐさまラベンダーの世界的中心地、フランスのプロヴァンスに赴き、抽出技術の研究と習得にいそしみました。彼が師匠と慕ったのはフランスで”抽出の父”と呼ばれるアンリ・ヴィオー氏と、20年以上にわたりフランスのラベンダー栽培家協会会長を務めたマルセル・エスピウ(Espieu) でした。

1988年、ゲリーはバハカリフォルニアの研究センターを売却しネバダ州のリノに移り、エッセンシャルオイルのビジネスをスタートさせました。1年後にはワシントン州スポケーンに事務所を移転、エッセンシャルオイルとそのメリットに関する知識をできる限り多くの人々に広められるようにとマーケティング企業を起こしました。これが現在のヤング・リヴィング・エッセンシャルオイルの始まりです。

根っからの農場労働者だったゲリーは、1992年5月、アイダホ州セント・マリーズに160エーカー(約64.7万平米)の農場を購入しました。ラベンダー、クラリセージ、タイム、ペパーミントが初めて栽培された農場です。また後に新しい抽出技術の試験施設にもなりました。1993年、ユタ州リバートンにあった会社名をヤング・リヴィング・エッセンシャルオイルへ改称、1994年に法人化されました。1995年にはユタ州モナに160エーカーの土地を購入し、新たな農場もを始めました。

この頃からゲリーは、ヤング・リヴィングの製品にできる新たな植物を世界中で探し始めました。そんな時、エクアドルのクエンカにあるアスアイ大学 から自然薬品・栽培プロジェクトの企画事業を頼まれ、彼の進路は大きく転回することになります。クエンカの気候では植物の栽培に適した期間が3ヵ月程しかなく、農業に適した土地とは言えませんでした。そこでゲリーは、海岸に近い大都市、グアヤキルに赴きました。幸いグアヤキルの気候は好適だった他、まだ知らない植物や樹木が広く存在したため、極めて魅力的なチャンスでした。

2006年、ヤング・リヴィングは初の海外進出を果たします。エクアドルにある2,300エーカー(931万平米)もの手つかずのジャングルで農場を始めることになったのです。現地チョンゴンの恵まれない農村の子どもたちを支援する機会も生まれ、ゲリーはヤング・リヴィング・アカデミーを創設します。開校は2008年3月。これまでに340名の生徒が通い、2016年3月には初年度のクラス全員が卒業式を迎えることに成りました。

2009年には、イエメンに自生しているフランキンセンスとミルラの別種を記録する目的で、イエメンの立入禁止地域にあるシバの女王の都シャブワに赴き、かつてはキャラバン貿易(隊商交易)の中心地だった古代文明の遺跡を訪れました。そこにはフランキンセンスとミルラの貴重な樹脂がありました。古代中近東のキャラバンの暮らしを活き活きと描いたゲリーの歴史小説 『The One Gift』 は、彼がフランキンセンスを流通させるまでの道のりで得た発見と経験に基づいています。ゲリーはその他にも何冊かの著書を出版しています。

ゲリーは調査を続けるためオマーンを訪れ、市場を歩いているとき、フランキンセンスの樹脂を入れた何千もの袋がいくつもの店で売られているのを目にしました。これにヒントを得たゲリーは、フランキンセンスの歴史の中心地サラーラに蒸留所を建てようと考えました。そして2010年1月、ヤング・リヴィングはセイクレッドフランキンセンス(ボスウェリアサックラ)エッセンシャルオイルを抽出する初の大規模施設をオープンしたのです。

自社農場やパートナー農場、「SEED TO SEAL」認定サプライヤーから調達した高品質のオイルだけを提供することに、ゲリーは情熱を傾けました。ヤング・リヴィング独自の「SEED TO SEAL」プログラムはそうして始まったのです。ピュアで高品質なエッセンシャルオイルのみを確実に提供するため、信頼性の高い検査と慎重なモニタリングによって厳格なプロセスを踏むこと(SEED)、そして収穫・抽出から最後のボトリングまで厳しい基準を備えること(SEAL)、製品化に至る全ての工程において品質への真摯な姿勢が表れています。品質を保証するために、非常に高価なIRMS(安定同位体比質量分析装置)を2台も導入している会社は他にありません。

最先端技術にも注力したゲリーは、テクノロジーの世界へと踏み込んでいきます。2014年には、ヤング・リヴィング・ハイランドフラット蒸留所がエッセンシャルオイル業界初のコンピューター制御された大規模施設となりました。

ヤング・リヴィングは美しいラベンダー農場を所有することでも有名ですが、ゲリーは今後ラベンダーの需要がますます増えていくことを予見していました。そこで彼は、友人でありラベンダー栽培の20年来のパートナーだったジャン・ノエル・ランデル、フランス・ラベンダー栽培家協会のブノワ・カッサン会長、フランスでヤング・リヴィングの作付け・栽培・収穫・抽出を監督している農場マネジャーのジャン・マリー・ブランの協力を仰ぎ、南フランスのスィミアン渓谷にあった彼らの農場を合併して、世界最大級のラベンダー農場、ヤング・リヴィング・スィミアンラロトン農場を作りました。

フランスで研究していた初期の頃、ゲリーは真正なラベンダー(Lavandula angustifolia)の種子を集めてアメリカに持ち帰り、アイダホの農場に植えました。20年後、フランスでは干ばつやウイルス、カビによって作物が大きな被害を蒙りました。そこでゲリーは何年も前にアイダホで栽培した真正なラベンダーの種子を再びフランスへと戻しました。現在フランスのプロヴァンスで盛んに栽培されているラベンダーは、全てこの種子から生まれたものです。

ヤング・リヴィングは現在、1日当たり475,000本を超えるオイルを生産しています。本社はアメリカにありますが、カナダ、オーストラリア、シンガポール、日本、マレーシア、英国、エクアドル、メキシコ、香港、インドネシア、台湾にも支社があります。17の自社農場、パートナー農場を持ち、3,000名を超える従業員と560万の会員がいます。ヤング・リヴィング・エッセンシャルオイルは今後も成長を続け、ゲリーのビジョンを世界へと広がっていくことでしょう。

ゲリーは世界各地を訪れながら、困窮している人々、助けを求める人々を目の当たりにしてきました。その経験をもとに生まれた「ゲリー・ヤング基金」は、年々成長を遂げ、今や何千人もの人々を支援しています。

研究のために世界の果てまで旅する中で、歴史的に重要かつ驚くべき多くの発見をし、エッセンシャルオイルと栄養に関する知見を高めることによって人類の福祉に貢献してきました。しかし、エッセンシャルオイルがゲリーの人生で果たした最も大きな役割は、私たち2人を結びつけ、25年にわたる結婚生活へと導いてくれたことでしょう。私たちはソルトレークシティの中心部、ソルト・パレスで出会い、1994年に結婚しました。そして2人の息子、ジェイコブとジョゼフに恵まれました。

今、ゲリーと私がともに創設した会社、ヤング・リヴィング・エッセンシャルオイルのただ1人の創設者兼CEOとなった私の目標は、ゲリーのビジョンを世界へと広め続けることです。ヤング・リヴィングを始める前、10年間ディストリビューターとしてダイレクトセリング業界で働いたことはとても幸運でした。私たちのビジネスを会員の視点から理解するうえでとても役に立っているからです。会社と現場の間で微妙にバランスを取る役目は大変なこともありますが、私は大好きです。

ゲリーと私は理想的なカップルだったと思っています。ゲリーは夢見る人、私はリアリストですから。新社長のジェレッド・ターナーはじめ、素晴らしいエグゼクティブチーム、献身的な従業員、そして何百万もの会員とともに、これからもずっとゲリーが灯したたいまつを掲げ、前へと進んで行きましょう。ウェルネスと豊かさの新たなメッセージを待っている人々に、私たちのメッセージを届けて行きましょう。ゲリーはジェレッドとエグゼクティブチームに全幅の信頼を寄せ、24年前に私たちがヤング・リヴィングを始めた時に夢見た道を突き進むうえで、素晴らしい環境が揃っていると安心していました。

ジェイコブ、ジョゼフ、そして私は皆さまの優しいお言葉と祈りに心から感謝しています。私たち家族にとって、今はとても辛い時ですが、こんなにもたくさんの愛情に囲まれて、穏やかに心癒やされていることを実感しています。
皆さまにお願いです。ゲリーへお花や贈り物をいただく代わりに、彼が立ち上げた「ゲリー・ヤング基金」へ寄付をしていただきたいと思います。グローバル・コミュニティに貢献するというゲリーのライフワークを今後も途絶えさせないために。
会員やお友だちの皆さまとぜひメモリアルページ(DGaryYoung.com)を訪れ、ゲリーの思い出をシェアしてください。動画や写真、ゲリーの生涯のタイムラインなど、ゲリーへのはなむけの数々もご覧いただけます。

 

メアリー・ヤング

 

 

 

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